2026年8月16日主日礼拝説教 聖書個所:ルカの福音書 20:27~40 説教題:生きている者の神
2026年8月16日主日礼拝説教
聖書個所:ルカの福音書 20:27~40
説教題:生きている者の神
序.死の向こうにある希望と慰め
お盆休みの真っ最中の日曜日を迎えています。お盆の季節は亡くなった家族のことを思い出したり、自分のいつか死ぬということを考えたりする機会もあるのではないでしょうか。
私も子どものころ祖父母の家にお盆で帰省した時の記憶があります。父も母も家族の中では最初のクリスチャンだったので、先祖代々の墓参りに親族で行った際には、みんなでお墓の掃除をした後、自分たち家族だけは手を合わせず、端のほうで、輪になって神様にお祈りをして帰った思い出を覚えています。幼いころでしたので、死について深く思いを巡らすことはありませんでしたが、自分たちはいのちと死について別の考え方をもっているんだなと感じた経験でした。
お墓はいつか自分の体も土にかえり、魂は神様の御前にあげられるということを思い起こさせます。聖書は死と復活と永遠のいのちについて明確に教えていますが、しかしそれでも詳しくはわからないこともたくさんあります。復活の身体はどのような感覚なのか。生きている間の人間関係は、天国ではどうなるのか。
今日の個所でイエス様は、サドカイ人の質問に答える形で、死と復活について語られます。しかし私たち人間の抱くすべての疑問に答えようとはされません。地上に属する私たちには、天に属するものについてすべてを理解するのは難しいからです。でも一つの確かで重要なことを語られました。「神は死んだ者の神ではなく、生きている者の神です。」神様を信じて生きる私たちは、常に神の前に生き続けるということ。神が私たちを永遠に生かしてくださるということです。いつか必ず訪れる死にどう備えるか。そして死の向こうにどのような希望と慰めがあるのかを改めて確認したいと思います。
1. 地上の物差しでは復活の世界を測れない
エルサレムに入ったイエス様に対して、律法学者やパリサイ人、さらにはサドカイ人たちも、次から次へと意地悪な質問をぶつけにやってきました。それだけ、神の子キリストとイスラエルの宗教指導者たちの対立がはっきりと高まっていたタイミングでした。こうしてイエス様は不当な裁判ののちに十字架にかかる道へと進んでいかれます。
今日登場したサドカイ人と呼ばれる人たちは、律法学者やパリサイ人のような指導的立場にあった人々とは違って、裕福な資産をもったいい身分にある人々が多かったようです。今日の個所で「復活があることを否定しているサドカイ人」と書かれているように、彼らは目に見える物質世界しか信じないという信仰の立場を主張していて、永遠のいのちや復活、天使の存在などを否定していました。
そんなサドカイ人たちは、パリサイ人たちに続いてイエス様に質問しました。彼らもまた真理を知りたいという願いからではなく、自分の正しさを主張したくて、イエス様に無理難題を投げただけでした。彼らの質問は、旧約聖書で定められていた結婚に関する、いわゆるレビラート婚にまつわる復活の話題でした。レビラート婚というのは、ある家族の長男が結婚したけれども、子どもがないままに死んでしまった場合、その弟が残された奥さんを自分の妻として迎えて、子孫が絶たれないようにしてあげなくてはならないという定めでした。彼らはこの律法を引用して、一人の女性が七人兄弟の上から順番に結婚しては死に分かれるということがあった場合、復活したら彼女は誰の妻になるのか、と聞いたのでした。そんなことはあり得ない極端な例を示して、死後の世界などあるはずがないと論理で言い負かそうとしたのでした。
ここに見るのは、神様に作られた被造物であり有限な存在でしかない私たちの限界です。永遠のいのちという話をしたときに、「いやぁ、年を取って、いつまでも生きていたくはありません」と言われたことがあります。永遠のいのちについても神の国についても復活の身体についても、私たちはどうしても今現在の地上の体験の延長線上を想像してしまいます。罪の影響から完全に解放された、霊の肉体というものを理解できないからです。
私たちも、聖書が復活についてはっきりと教えていることを心に留めていなかったり、死後のいのちや魂について勝手な想像を膨らませていたりすることがあります。例えば、死んだ人の霊がここにあるとかあそこにあるとかいうことはありません。死んだ人の霊は神様のご支配のもとにあり、幽霊のように地上を浮遊するようなものはありません。
では、サドカイ人たちの疑問はどのように解決されるのでしょうか。イエス様が答えてくださった言葉を聞いて、神の国のいのちについてより確かに知るものになりたいと思います。
2.復活のいのちには死による終わりも別れもない
イエス様の答えはこうです。「次の世に入るのにふさわしく、死んだ者の中から復活するのにふさわしいと認められる人たちは、めとることも嫁ぐこともありません。彼らが死ぬことは、もうあり得ないからです。」すなわち、復活して永遠に生きる、霊の肉体によみがえらされたものたちは、神の国で結婚生活を送るわけではないということです。「彼らはみ使いのようであり、復活の子として神の子なのです」とまで言われています。
ここで大切にしたいのは「めとることも嫁ぐこともない」ということだけでなく、その理由として「彼らが死ぬことはあり得ない」つまり「死ぬことができない」と言われていることです。
現在の世界では、罪によって人が必ず死ぬために、レビラート婚の意図である子孫を残す必要がありました。また神が創造されたこの地上においては、「うめよ、ふえよ、地を従えよ」というみ言葉によって広がっていくものでもありました。しかし復活の世界ではもう死がありません。そして結婚もなくなります。神の祝福が完全な形で世界を満たすために、助け合うという夫婦のかたちも、出産の痛みを通して子孫を残すということもなくなるということなのでしょう。
私たちには死後の世界に関するまだまだいろいろな疑問が湧いてくることでしょう。しかし、イエス様は詳しいことを説明なさいません。しかし最も重要なことは、天の御国に入って生きるものたちは、もう死ぬことが絶対にないということです。神のみ前で彼らは永遠に生きる。神の子どもたちの関係を断ち切る罪の問題も、そして死の問題も何もなくなるからです。
結婚式の誓いにおいて、「死がふたりを分かつまで」というフレーズがありますが、もはや死によって分かたれる関係性がなくなります。また結婚関係のような深く強い愛の信頼関係が、神様とすべての兄弟姉妹との間で結ばれるようになるという含みもあるのかもしれません。死がすべての終わりではない世界。むしろ神にあって永遠に生かされる世界。これは地上の延長線上ではなく、私たちの知恵をはるかに超えた、神さまの栄光と祝福と愛に満ちた神の子どもたちがよみがえらされる世界のことであるということを、楽しみに思い描きたいと思うのです。
3.死を超えて、神は私たちを生かしてくださる
そして最後にイエス様は、モーセが神様のことを「アブラハムの神、イサクの神、ヤコブの神」と呼んだことを取り上げます。モーセがそうよんだのは、かつてアブラハムが信じた神という意味ではなく、アブラハムもイサクもヤコブも、今も神を愛し神に愛され続け、神にとともに生きているからだと、イエス様は説明します。神とともに生き、神とともに死んだ者は、永遠に神とともに生きるものとなるのです。「神にとっては、すべての者が生きているのです」という言葉は意味深長です。命を作り、そのいのちをご自身の力で保たれるお方。キリストにあって神の子どもとされた私たちは、このような神様との深く長い愛の関係の中に生きる者によみがえらされるということを確信したいと思うのです。
ここに私たちの希望と慰めがあります。これは、死後の世界について私たちが隅々まで理解しているということではありません。そうではなく、いのちを与えてくださった神が、私たちを死の後にもともに生かしてくださるというこのみ言葉を信じているということです。
この真理を教えたイエス様ご自身が、この後贖いの十字架の死を遂げたのちに、復活の初穂、最初のよみがえった実例としてそのお姿を現してくださるのです。私たちは死についても復活についてもまだわからないことがたくさんあります。しかし疑いではなく、死を通り抜けて復活され、今も生きておられるイエス・キリストを信頼して、希望をもって死をも潜り抜けていくことができるのです。
結び.私たちの未来を握っておられる生きている神
今日は死後のいのちの在り方から、神の前に永遠に生きる希望について考えてきました。イエス様は、私たちのすべての疑問に答えるのではなく、わからないこともそのまま神様に委ねて生きるように。今も昔も永遠に生きている神様ご自身に目を向けて生きるようにと招いておられます。「神は死んだ者の神ではなく、生きている者の神です」。神のみ前で、神の子どもたちは常に生かされているからです。
死と死後の世界について、真剣に考えるきっかけは、ひとそれぞれに違うと思います。大切な人を天に送る経験をしたことがきっかけになる人もいることでしょう。あるいは、抱えている悩みが大きすぎて、死んだら楽になるのだろうかと考えた、そんな人もいるでしょう。神様は様々な方法で、私たちの心を永遠のいのちについて考えるように向けてくださいます。
私たちはこのいのちが死んで終わって消えるのではなく、神の前にあって永遠に生かされる希望があります。
私たちはやがて、天の御国でイエス様に迎えていただきます。そこでは罪も死もなく、疲れることも老いることも、病やけがに苦しむこともありません。私たちは朽ちることのない御霊のからだによみがえらされます。その時に体験する喜びと愛と平安は、私たちの想像を絶するものなのです。
私たちの未来を握っているのは、死ではなく、永遠に生きておられる神様です。この神様に信頼できることを感謝して、今日も平安のうちに歩んでいきましょう。
祈り
天のお父さん。
死の向こうにあることをすべて知ることはできませんが、あなたが生きておられ、私たちを永遠のいのちへと導いてくださることを感謝します。死を恐れるときも、悲しみの中にあるときも、復活された主イエスを見上げ、あなたを信頼して歩ませてください。主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。
2026年8月16日主日礼拝説教
聖書個所:ルカの福音書 20:27~40
説教題:生きている者の神
序.死の向こうにある希望と慰め
1. 地上の物差しでは復活の世界を測れない
2.復活のいのちには死による終わりも別れもない
3.死を超えて、神は私たちを生かしてくださる
結び.私たちの未来を握っておられる生きている神
Sermão do Culto Dominical de 16 de agosto de 2026
Passagem bíblica: Evangelho de Lucas 20:27–40
Título do sermão: O Deus dos vivos
Introdução. Esperança e consolo além da morte
Estamos vivendo um domingo bem no meio do feriado de Obon. A época do Obon talvez seja uma oportunidade para relembrarmos os familiares que já se foram e refletirmos sobre o fato de que um dia também morreremos.
Eu também tenho lembranças de quando, na infância, voltava para a casa dos avós durante o Obon. Como meu pai e minha mãe foram os primeiros cristãos da família, lembro-me de que, quando íamos com os parentes visitar os túmulos dos antepassados, depois de todos limparmos os túmulos, apenas nossa família não juntava as mãos em oração; em vez disso, formávamos um círculo num canto, orávamos a Deus e voltávamos para casa. Como eu era criança, não refleti profundamente sobre a morte, mas foi uma experiência que me fez perceber que nós tínhamos uma maneira diferente de pensar sobre a vida e a morte.
O túmulo nos faz lembrar que, algum dia, nosso corpo também retornará à terra e nossa alma será levada à presença de Deus. A Bíblia ensina claramente sobre a morte, a ressurreição e a vida eterna; no entanto, ainda há muitas coisas que não compreendemos em detalhes. Como será a sensação do corpo ressuscitado? Como serão as relações humanas no céu, em comparação com as que temos enquanto vivemos?
Na passagem de hoje, Jesus fala sobre a morte e a ressurreição ao responder à pergunta dos saduceus. No entanto, Ele não tenta responder a todas as dúvidas que nós, seres humanos, temos. Isso porque, para nós, que pertencemos à terra, é difícil compreender tudo o que pertence ao céu. Mas Ele afirmou uma coisa certa e importante: “Deus não é Deus dos mortos, mas dos vivos.” Nós, que vivemos na fé em Deus, continuamos sempre vivos diante Dele. Isso significa que Deus nos mantém vivos para sempre. Como nos preparar para a morte, que certamente chegará um dia? E gostaria de reafirmar que tipo de esperança e consolo existem além da morte.
1. Não é possível avaliar o mundo da ressurreição com os parâmetros terrenos
Quando Jesus entrou em Jerusalém, os doutores da Lei, os fariseus e até mesmo os saduqueus vieram, um após o outro, lançar-lhe perguntas maliciosas. Era um momento em que o conflito entre Cristo, o Filho de Deus, e os líderes religiosos de Israel estava claramente se intensificando. Assim, após um julgamento injusto, Jesus seguiu o caminho que o levaria à cruz.
Os chamados saduceus, que aparecem hoje, ao contrário das pessoas em posições de liderança, como os especialistas em Lei e os fariseus, pareciam ser, em sua maioria, pessoas de boa posição social e com grande patrimônio. Conforme está escrito na passagem de hoje como “os saduceus, que negavam a ressurreição”, eles defendiam uma postura de fé que acreditava apenas no mundo material visível, negando a vida eterna, a ressurreição e a existência dos anjos.
Esses saduqueus, seguindo o exemplo dos fariseus, fizeram uma pergunta a Jesus. Eles também não o fizeram por desejarem conhecer a verdade, mas apenas para afirmar sua própria retidão, lançando a Jesus uma questão capciosa. A pergunta deles versava sobre a ressurreição no contexto do chamado casamento levirato, estabelecido no Antigo Testamento. O casamento levirato era uma norma que determinava que, caso o filho mais velho de uma família se casasse, mas morresse sem deixar filhos, seu irmão mais novo deveria casar-se com a viúva para garantir que a linhagem não se extinguísse. Citando essa lei, eles perguntaram: se uma mulher se casasse sucessivamente com os sete irmãos, um após o outro, e morresse após cada casamento, de quem ela seria esposa na ressurreição? Ao apresentar um exemplo tão extremo e improvável, eles tentavam refutar logicamente a existência de um mundo após a morte.
O que vemos aqui são as limitações de nós, seres criados por Deus e que somos apenas existências finitas. Quando falei sobre a vida eterna, já me disseram: “Ah, não quero envelhecer e viver para sempre”. Seja sobre a vida eterna, o Reino de Deus ou o corpo ressuscitado, acabamos inevitavelmente imaginando tudo como uma extensão de nossas experiências atuais na Terra. Isso porque não conseguimos compreender o que é um corpo espiritual, totalmente liberto do impacto do pecado.
Nós também, às vezes, não levamos em conta o que a Bíblia ensina claramente sobre a ressurreição, ou alimentamos imaginações arbitrárias sobre a vida após a morte e a alma. Por exemplo, não é verdade que o espírito de uma pessoa falecida esteja aqui ou ali. O espírito de uma pessoa falecida está sob o domínio de Deus e não fica vagando pela Terra como um fantasma.
Então, como a dúvida dos saduceus é resolvida? Ao ouvir as palavras com que Jesus respondeu, gostaria que pudéssemos conhecer com mais certeza a vida no Reino de Deus.
2. Na vida da ressurreição, não há fim nem despedida causados pela morte
A resposta de Jesus é a seguinte: “Aqueles que forem considerados dignos de entrar no mundo vindouro e de ressuscitar dentre os mortos não se casarão nem serão desposados. Pois já não é possível que morram.” Ou seja, aqueles que ressuscitarem e viverão para sempre, ressuscitados em um corpo espiritual, não levarão uma vida conjugal no Reino de Deus. Chega-se a dizer que “eles serão como os anjos e, como filhos da ressurreição, serão filhos de Deus”.
O que devemos destacar aqui não é apenas o fato de que “não se casarão nem serão desposados”, mas também a razão apresentada: “já não é possível que morram”, ou seja, “eles não podem morrer”.
No mundo atual, como as pessoas inevitavelmente morrem por causa do pecado, era necessário deixar descendentes, conforme a intenção do casamento levirático. Além disso, nesta Terra criada por Deus, a humanidade se expandia de acordo com a palavra divina: “Cresçam, multipliquem-se e subjuguem a terra”. No entanto, no mundo da ressurreição, a morte já não existe. E o casamento também deixará de existir. Para que a bênção de Deus preencha o mundo de forma completa, tanto a forma de união entre marido e mulher, que se baseia na ajuda mútua, quanto a prática de deixar descendentes por meio das dores do parto deixarão de existir.
Certamente ainda surgirão muitas outras dúvidas em nós a respeito do mundo após a morte. No entanto, Jesus não explica os detalhes. O mais importante, porém, é que aqueles que entrarem no Reino dos Céus e viverem ali nunca mais morrerão, de forma alguma. Eles viverão para sempre na presença de Deus. Isso porque tanto o problema do pecado, que rompe o vínculo entre os filhos de Deus, quanto o problema da morte deixarão de existir.
Nos votos matrimoniais, há a frase “até que a morte os separe”, mas não haverá mais relações que possam ser separadas pela morte. Além disso, talvez haja também a sugestão de que uma relação de amor e confiança tão profunda e forte quanto a do casamento passará a ser estabelecida entre Deus e todos os irmãos e irmãs. Um mundo em que a morte não é o fim de tudo. Pelo contrário, um mundo em que somos mantidos vivos para sempre em Deus. Gostaria de imaginar com alegria que esse mundo não é uma mera extensão da vida terrena, mas sim um mundo repleto da glória, da bênção e do amor de Deus, no qual os filhos de Deus ressuscitarão, um mundo que ultrapassa em muito a nossa compreensão.
3. Além da morte, Deus nos dá vida
E, por fim, Jesus aborda o fato de Moisés ter chamado Deus de “o Deus de Abraão, o Deus de Isaque e o Deus de Jacó”. Jesus explica que Moisés não se referia ao Deus em quem Abraão acreditava no passado, mas sim ao fato de que Abraão, Isaque e Jacó continuam, até hoje, amando a Deus, sendo amados por Ele e vivendo com Ele. Aqueles que viveram com Deus e morreram com Ele passarão a viver eternamente com Ele. A frase “Para Deus, todos estão vivos” é profundamente significativa. Aquele que cria a vida e a mantém com Seu próprio poder. Nós, que nos tornamos filhos de Deus em Cristo, queremos ter a certeza de que seremos ressuscitados para viver nessa relação de amor profunda e duradoura com Deus.
É aqui que reside nossa esperança e nosso consolo. Isso não significa que compreendamos minuciosamente o mundo após a morte. Pelo contrário, significa que acreditamos nesta palavra de Deus: que Ele, que nos deu a vida, continuará a nos manter vivos com Ele mesmo após a morte.
O próprio Jesus, que ensinou essa verdade, após ter sofrido a morte redentora na cruz, manifestou-se como as primícias da ressurreição, o primeiro exemplo de alguém que ressuscitou. Ainda há muitas coisas que não compreendemos, tanto sobre a morte quanto sobre a ressurreição. No entanto, sem duvidar, confiando em Jesus Cristo — que passou pela morte, ressuscitou e ainda hoje vive —, podemos atravessar a morte com esperança.
Conclusão. O Deus vivo que tem em mãos o nosso futuro
Hoje refletimos sobre a esperança de viver eternamente diante de Deus, a partir da natureza da vida após a morte. Jesus não responde a todas as nossas dúvidas, mas nos convida a viver entregando ao próprio Deus aquilo que não compreendemos. Ele nos convida a viver voltados para o próprio Deus, que vive agora, no passado e para sempre. “Deus não é Deus dos mortos, mas dos vivos”. Pois, na presença de Deus, os filhos de Deus são constantemente mantidos vivos.
Acho que o motivo que leva cada pessoa a refletir seriamente sobre a morte e o mundo após a morte varia de pessoa para pessoa. Para alguns, talvez tenha sido a experiência de enviar uma pessoa querida para o céu. Ou talvez haja quem, diante de angústias muito grandes, tenha pensado: “Será que morrer seria um alívio?”. Deus, de diversas maneiras, direciona nossos corações para que reflitamos sobre a vida eterna.
Temos a esperança de que esta vida não termine com a morte e desapareça, mas que, diante de Deus, sejamos mantidos vivos para sempre.
Em breve, seremos recebidos por Jesus no Reino dos Céus. Lá não haverá pecado nem morte, nem cansaço, nem envelhecimento, nem sofrimento por doenças ou ferimentos. Seremos ressuscitados em um corpo espiritual que não se corrompe. A alegria, o amor e a paz que experimentaremos naquele momento são coisas que ultrapassam nossa imaginação.
Quem tem o controle do nosso futuro não é a morte, mas Deus, que vive para sempre. Agradecemos por podermos confiar nesse Deus e, hoje também, vamos caminhar em paz.
Oração
Pai celestial.
Embora não possamos saber tudo o que há além da morte, agradecemos por Tu estares vivo e por nos conduzires à vida eterna. Tanto quando tememos a morte quanto quando estamos em meio à tristeza, permite que olhemos para o Senhor Jesus ressuscitado e caminhemos confiando em Ti. Oramos em nome do Senhor Jesus Cristo. Amém.
Sermão do Culto Dominical de 16 de agosto de 2026
Passagem bíblica: Evangelho de Lucas 20:27–40
Título da pregação: O Deus dos vivos
Introdução. Esperança e consolo além da morte
1. Não é possível medir o mundo da ressurreição com os critérios terrenos
2. Na vida da ressurreição, não há fim nem despedida causados pela morte
3. Além da morte, Deus nos mantém vivos
Conclusão. O Deus vivo que tem em suas mãos o nosso futuro