2025年9月14日主日礼拝説教 ルカ14:15~24 「神の国で食事をする人」
2025年9月14日主日礼拝説教
ルカ14:15~24
「神の国で食事をする人」
序.神の招きにどう応えるか
イエス様は神の国、天国の情景をしばしば「祝宴、盛大な食事会」にたとえて語りました。今日の個所はパリサイ人の指導者の家で、たくさんの人たちが食事会に招かれている状況です。ですから、イエス様は目の前で繰り広げられている食事会と重ね合わせる形で天の御国の食卓がどのようなものであるかを考えさせようとしたのです。どんなところが似ているのか、そしてどんなところが違っているのでしょうか。
結婚式の披露宴や記念食事会、あるいは同窓会など、様々な食事会がありますが、いずれも人々が一堂に集まって喜びを分かち合う場所です。しかし神の国のたとえ話には、思いがけないことが起きます。招待されていたはずなのに間際になってキャンセルする人もいれば、思いがけずに招かれて喜んで入ってくる人もいるのです。今日の譬えを通して、私たちは「神の招待にどうこたえるのか」という問いを突き付けられることになります。それだけでなく、神の祝宴に入る者としての生き方が生活の中で現れているかどうかも問われることでしょう。ともにイエス様の教えに耳を傾けたいと思います。
1.神の招きを断る人々―日々、神様と過ごす時間を大切に確保する
イエス様と一緒に食事をしていた客の一人がイエス様に声を掛けました。「神の国で食事をする人は、何と幸いなことでしょう」。おそらくパリサイ派の律法学者の一人だったのでしょう。イエス様が直前の14節で「義人の復活のときに、お返しを受けるのです」と言われるのを聞いて、天国で食卓に着く人は何と素晴らしいでしょうと言ったのでした。これを受けてイエス様は今日の神の国のたとえ話を始めるのでした。
ですから、これは自分が必ずや神の国で食事をすると思っている人に、あなたは本当に神の国で食事をする人の生き方をしていますか?と問いかけるものとなっているのです。救いは行いによって獲得するものではありませんから、決して私たちの生き方が救われるかどうかを左右するわけではありません。しかし救われて神の祝宴に予約席を持った人は、神の国の価値観に生きるものに神の力によって変えられていくのです。救いわれた人には、罪びとの中で働く御霊の力がそそがれ、キリストとの結びつきによる変化がもたらされるからです。
では神の国の祝宴に招かれた人々は、どんな態度でこの招待に応えたのでしょうか。なんとこの盛大な祝宴を直前で断った三種類の人々が出てきます。彼らは言います。「畑を買ったので、身に行かなければなりません。どうか、ご容赦ください。」二人目は言います。「五くびきの牛を買ったので、それを試しに行くところです。どうか、ご容赦ください。」三人目は言います。「結婚したので、行くことができません。」この祝宴の食事はとても盛大であったので、事前の招待をしたうえで、当日の時刻に出迎えに行くという形だったのです。彼らはその招きに対して最初は答えていたにもかかわらず、なんと直前で断ったのでした。畑を買った、牛を買った、結婚してパートナーを家に迎えた。どれも人生の中では大きなイベントでした。決して小さくはない出来事です。しかし、果たしてそれらが神の国の祝宴に入ることよりも、差し迫った、重要な案件であったのでしょうか。いや、そもそもキリストの赦しを受け取って、神の国の食卓に着くこと以上に価値のあることがこの地上にあるのでしょうか。ありません。ないのです。
彼らがこのいざというタイミングで神の祝宴への招待を断ったのは、ただこの一瞬の心の迷いが問題だったのではありません。実はその心が、毎日のなすべき事柄にのみ注がれている中で、すでに神様とともに生きているという中身が失われていたのです。神とともに生きること。それは日曜日の礼拝に出席していればそういうことになるというようなやっつけ仕事ではありません。これをしていれば、あれをやらなければ、それで神を愛していることになるというものではありません。私たちだって、この人から愛されていると信じるのは、決してあれをしたからこれをしたからという条件では無いはずです。むしろお互いの心が日々繋がっていることを感じ、楽しいことも苦しいことも互いに思いやり合って過ごしているという中身があることを、結果として愛し合っていると表現するのではないでしょうか。日常のことに心を奪われて、神とともに生きる喜びを軽んじてしまっていること。これはユダヤ人への警告だけでなく、私たちにも十分思い当たる、胸を探られる警告ではないでしょうか。私たちも仕事の責任、家庭の課題、人間関係の調整。あれやこれやで心がいっぱいになります。神様、ちょっとあっちに行っていてください。今私はこれらのことで頭がいっぱいなのです。しかし本当は、あらゆる恵みは神様の愛によって注がれており、どんな困難も神様とともに取り組んでいく中で柔軟で建設的な知恵が与えられていきます。
そのためにも、一日のうちで神様との交わりを楽しむ時間をどこかに確保することです。落ち着いて聖書を読むということが一番望ましいですが、自分の生活にあったいろんな方法が模索できます。今はスマホのアプリで聖書の朗読を耳で聞くこともできます。たくさん読むだけでなく、短い個所を思いめぐらしながら過ごすのも良いでしょう。あるいは休憩時間が五分だけ余ったら、その時間をただ目を閉じて座って、祈りながら黙想する時間にするのはお勧めです。また、もし平日に一度も聖書を読んだことがないのでどこを読んだらわからないという人は、もう単純に日曜日の説教箇所を読んでください。思い起こして、自分なりの応答を考えるだけでも、信仰の中身が深まっていきます。暇があれば神様のことを考えてもいいと思っているならば、まさにこのたとえのような事態に陥ってしまいます。神様は教会の中でだけ会えるお方ではなく、この世界を造り、世界をおさめ、世界に満ちておられるお方です。そのお方の祝宴に、いつ招かれても喜んで腰を上げる信仰者として生きていきましょう。
2.招かれて祝宴に加わった「貧しい人たち」―赦された罪人として他者の罪に寛容になる
さて、招待を土壇場でキャンセルされた主人は怒り、その代わりに貧しい人たち、からだの不自由な人たち、目の見えない人たち、足の不自由な人たちを連れてくるようにと命じました。当時の社会で軽んじられていた人々、今こうして神の国の食卓の予約席へと招かれるようになるのでした。これは少し前の14:13~14の教えと繋がっています。「食事のふるまいをする時は、貧しい人たち、からだの不自由な人たち、足の不自由な人たち、目の見えない人たちを招きなさい。その人たちはお返しが出来ないので、あなたは幸いです。あなたは、義人の復活のときに、お返しを受けるのです。」このお返しのできない者たちとは誰のことでしょう。それはまさに私たち自身のことなのです。私たちは、神の国に招かれるべき素晴らしい人間だから神の国に入るのではありません。身体も心も罪の汚れだらけなのですが、ただ神様が入りなさいと招いてくださったので、感謝しつつその宴に入っていくものたちなのです。
しかも印象的なのは、彼らを招いた後のしもべがこういっていることです。「ご主人さま、お命じになった通りにいたしました。でも、まだ席があります。」彼らは主人の招待にすぐさま答えて席に着いたのです。どうしてでしょうか。それは自分たちが本来ならばこの祝宴に招かれるはずがない存在であるということを知っていたからです。彼らの姿は、招待をキャンセルした最初の人々と対照的です。彼らは畑を持っていたり、牛を持っていたり、結婚したり、様々な点で人生の豊かさや喜び、祝福を楽しんでいる人々でした。しかし、彼らはその豊かさの中で忙しくなり、その豊かさを与えてくださった神の招きを忘れ、いざという時に神を拒んだのでした。イエス様は言われました「心の貧しい人は幸いです。天の御国はその人たちの者だからです。」自分の心の絶望的な貧しさを痛感している人ほど、神の国の招きに応えるのです。そして自分の人生に忙しく豊かさの中で神を忘れていると、神の国の祝宴に応える暇などありません!と言ってしまう心の罠にはまってしまうのです。
しかも神の招きの声はさらに広がり、「街道や垣根のところに出て行き、無理にでも人々を連れて来て私の家をいっぱいにしなさい」と告げられます。この神の招きの声に応えて、キリストの弟子たちは全世界に福音を語り継げ、私たちのような遠い遠い島国の日本の知多半島にまで神の子どもとなる人が起こされているのです。神の国の祝宴の不思議がまさにここに描かれています。私こそは神の国で食事をすると思って人生の豊かさを楽しんでいる人が、なんと実際には自ら神を拒むという豊かさの悲惨を選び取る。そして私のようなものは神の国にふさわしい生き方などできていないと心から自分を悲しんでいるものが、キリストの招きによって神の国に入るのです。
私たちの価値観も、放っておくと神の国よりも地上の価値観に流されていきます。弱い者よりより強いものに。少ないよりもより多いものに。低いところよりもより高いところに。それこそ追い求める価値であり、下にいる者は価値が低く、上にいる者は価値が高い。そうして気が付くと、神の国の価値観からは遠く離れた生き方をしてはいないでしょうか。自らの貧しさに気が付き、弱さを認め、神の愛を地上で分かち合うことを楽しんでいるでしょうか。神の国で見るような交わりが、今あなたの関わる人間関係のなかで見られるでしょうか。神の国の宴の心を、あなたのいる場所に。職場に、家庭に、持ち込んでいきましょう。その働きは、あなたにしかできない役目だからです。
3.神の招きに「今、応える」―応答の先延ばしは拒絶に繋がる
最後に24節の響きは、私たちの心を探ります。「言っておくが、あの招待されていた人たちの中で、私の食事を味わうものは一人もいません。」招待されたのに断った人と、貧しさの中に生きてぎりぎりで招かれた人との違いはどこにあるのでしょうか。それは、日々の一瞬一瞬で、神の招きに応えて生きるというその心の在り方ではないでしょうか。両者を比べて、どちらの方が真面目であるとか、優秀であるとか、心が清いかとか、そのようなことは論じられていないのです。彼らの運命を分けたのは、ただ神に招かれたことを心から喜んで、その時に神とともに生きることを選び取ったことです。
「余裕が出来たら神様のことを考えてみてもいいと思います」という先延ばしは、まさに神様の招待を拒絶する道です。あなたが大事な食事会に人を招待して、いざ当日となって「ごめんやっぱり、今忙しいんだ。また暇なときに誘ってくれたら考えるね」という人を、今後も大切な人と思うでしょうか。人間関係においても、信仰生活にも示されたその時に、「今、応える」ということが必要です。短い休み時間に、心からの祈りを楽しむ時間にする。抱えている悩みごとがあれば、まさにそのことを神様に祈り、み言葉に答えを探す。一週間の一日でもいいから、聖書を読み、生活の中で実践することを考える。神とともに生きる一日一日の先に、神の国の食事をイエス様とともに味わう恵みがあります。
結び.神と交わり、隣人に寛容になり、日々神の言葉に応える
以上、神の国の祝宴の譬えから学んできました。三点にまとめて振り返りましょう。一つ目は、豊かさや忙しさの中でも、すべての源である神様と過ごす時間を確保しましょう。二つ目は、自分の貧しさを思い起こして、隣人の弱さに寛容になりましょう。他者の罪に寛容になるときはじめて、自分自身がどれほど寛容さがなく、忍耐がなく、自己中心であるかが示されます。神の国の宴の価値観を、あなたの生活の場に持ち込みましょう。三つ目は、今、この瞬間に神の招きに応答することを意識しましょう。小さな実践こそ、信頼関係を築いていく大切な日々の積み重ねなのです。
神様を大切にするというのは、愛する人を大切にするというのと同じことです。一緒に過ごす時間を大事にする。相手の心や言葉について考える。その人が目の前にいないときでも、その人に対して誠実になる。目に見えない神様を、職場でも家庭でも学校でも認めて、神様を大切にする喜びを増やしていきましょう。
2025年9月14日主日礼拝説教
ルカ14:15~24
「神の国で食事をする人」
序.神の招きにどう応えるか
1.神の招きを断る人々―日々、神様と過ごす時間を大切に確保する
2.招かれて祝宴に加わった「貧しい人たち」―赦された罪人として他者の罪に寛容になる
3.神の招きに「今、応える」―応答の先延ばしは拒絶に繋がる
結び.神と交わり、隣人に寛容になり、日々神の言葉に応える
Sermão de domingo, 14 de setembro de 2025
Lucas 14:15–24
“Aqueles que jantam no Reino de Deus”
Introdução: Como responder ao convite de Deus
Jesus frequentemente comparava a cena do Reino de Deus, o reino celestial, a uma “festa, um grande banquete”. A passagem de hoje descreve uma situação em que muitas pessoas foram convidadas para um banquete na casa de um líder fariseu. Portanto, Jesus pretendia nos fazer refletir sobre como seria a mesa do banquete do reino celestial, comparando-a com o banquete que se desenrolava diante de seus olhos. Quais aspectos são semelhantes e quais são diferentes?
Existem vários tipos de banquetes — recepções de casamento, jantares comemorativos ou reuniões de turma —, mas todos são locais onde as pessoas se reúnem para compartilhar alegrias. No entanto, na parábola do reino dos céus, acontecem coisas inesperadas. Alguns dos convidados cancelam no último momento, enquanto outros, convidados inesperadamente, chegam com alegria. Através da parábola de hoje, somos confrontados com a questão: “Como devemos responder ao convite de Deus?” Além disso, somos questionados se a nossa vida diária reflete o modo de viver adequado àqueles que entram na festa de Deus. Vamos ouvir juntos o ensinamento de Jesus.
1. Aqueles que recusam o convite de Deus — valorizando o tempo diário passado com Deus
Um dos convidados que jantava com Jesus dirigiu-se a ele: “Quão abençoados são aqueles que jantarão no reino de Deus!” Ele era provavelmente um dos escribas fariseus. Tendo ouvido Jesus dizer no versículo 14 anterior: “Eles receberão sua recompensa na ressurreição dos justos”, ele comentou como seria esplêndido sentar-se à mesa do banquete celestial. Em resposta, Jesus começou a parábola de hoje sobre o reino dos céus.
Portanto, isso serve como um desafio para aqueles que presumem que certamente jantarão no reino dos céus: você está realmente vivendo como alguém que jantará lá? A salvação não é conquistada por obras; nosso modo de vida não determina se seremos salvos. No entanto, aqueles que são salvos e recebem um lugar reservado na festa de Deus são transformados pelo poder de Deus para viver de acordo com os valores do reino. Pois os salvos recebem o derramamento do poder do Espírito que opera entre os pecadores, trazendo transformação por meio da união com Cristo.
Então, como aqueles convidados para a festa do reino responderam? Três tipos de pessoas aparecem que, no último momento, recusam este magnífico banquete. O primeiro diz: “Comprei um campo e preciso ir vê-lo. Por favor, desculpem-me”. O segundo diz: “Comprei cinco juntas de bois e preciso ir vê-las. Peço-lhe que tenha misericórdia de mim.” O terceiro disse: “Acabei de me casar e, portanto, não posso ir.” Este banquete era tão grandioso que, após o convite inicial, mensageiros foram enviados para cumprimentar os convidados na hora marcada. Apesar de terem inicialmente aceitado o convite, todos recusaram no último momento. Comprar um campo, comprar bois, casar e trazer um parceiro para casa. Cada um desses eventos era importante em suas vidas. Não eram, de forma alguma, ocorrências menores. Mas eram esses eventos realmente mais urgentes e importantes do que participar da festa do reino de Deus? Não. Na verdade, existe algo nesta terra mais valioso do que receber o perdão de Cristo e ocupar seu lugar à mesa de Deus? Não existe. Não há nada.
A recusa do convite de Deus para a festa nesse momento crítico não foi apenas um problema de um lapso momentâneo do coração. Na verdade, seus corações, focados exclusivamente nas tarefas diárias, já haviam perdido a essência de viver com Deus. Viver com Deus não é uma tarefa superficial cumprida apenas por participar do culto dominical. Não é uma questão de fazer isso ou aquilo para provar que se ama a Deus. Nós também acreditamos que somos amados por alguém, não por causa de ações específicas realizadas ou não realizadas. Em vez disso, é a sensação de que nossos corações estão conectados dia após dia, compartilhando alegrias e tristezas com cuidado e consideração mútuos — essa substância é o que, em última análise, expressamos como amar uns aos outros. Estar tão consumido pelas preocupações diárias que negligenciamos a alegria de viver com Deus. Esta advertência aos judeus não é apenas deles; é uma advertência que nos atinge de perto, sondando nossos corações. Nossas próprias mentes estão cheias de responsabilidades profissionais, desafios familiares, relacionamentos — isso e aquilo. Deus, por favor, afaste-se por um momento. Minha mente está cheia dessas coisas agora. No entanto, na verdade, todas as bênçãos são derramadas através do amor de Deus, e enfrentar qualquer dificuldade junto com Deus traz sabedoria flexível e construtiva.
Portanto, devemos reservar um tempo em nosso dia para desfrutar da comunhão com Deus. Ler as Escrituras com calma é o mais desejável, mas podemos explorar vários métodos adequados às nossas próprias vidas. Hoje em dia, você pode ouvir leituras da Bíblia por meio de aplicativos para smartphones. Em vez de ler extensivamente, pode ser benéfico passar um tempo refletindo sobre uma passagem curta. Alternativamente, se você tiver apenas cinco minutos livres durante um intervalo, recomendo simplesmente fechar os olhos, sentar-se e usar esse tempo para oração silenciosa e meditação. Além disso, se você não leu a Bíblia durante a semana e não sabe por onde começar, basta ler a passagem do sermão de domingo. Simplesmente relembrar e considerar sua própria resposta aprofunda a essência de sua fé. Se você acha que é aceitável apenas refletir sobre Deus quando tem tempo livre, você se encontrará exatamente na situação descrita nesta parábola. Deus não é alguém que você só pode encontrar dentro da igreja; Ele é Aquele que criou este mundo, o sustenta e o preenche. Vamos viver como crentes que, sempre que convidados para Sua festa, nos levantamos com alegria para ocupar nosso lugar.
2. Os “pobres” convidados para a festa – perdoando os pecados dos outros como pecadores perdoados
Então o mestre, irritado com os cancelamentos de última hora, ordenou que fossem trazidos os pobres, os aleijados, os cegos e os coxos. Essas eram pessoas desprezadas pela sociedade naquela época, mas agora eram convidadas a ocupar seus lugares reservados à mesa do reino de Deus. Isso se conecta ao ensinamento anterior em 14:13-14: “Quando você der um banquete, convide os pobres, os aleijados, os coxos e os cegos. E você será abençoado, porque eles não podem retribuir. Você será recompensado na ressurreição dos justos”. Quem são esses que não podem retribuir? Somos precisamente nós mesmos. Não entramos no reino de Deus porque somos seres humanos esplêndidos que merecem o convite. Embora nossos corpos e corações estejam manchados pelo pecado, somos aqueles que entram na festa com gratidão, simplesmente porque Deus nos convidou para entrar.
Além disso, o que é impressionante é o que o servo disse depois de convidá-los: “Senhor, fiz como você ordenou, mas ainda há lugar”. Eles responderam imediatamente ao convite do seu senhor e ocuparam seus lugares. Por quê? Porque sabiam que não eram do tipo que deveria ter sido convidado para essa festa. Sua situação contrasta fortemente com a dos primeiros convidados que cancelaram. Essas eram pessoas que possuíam campos, gado, eram casadas – pessoas que desfrutavam das riquezas, alegrias e bênçãos da vida de várias maneiras. No entanto, presos em sua prosperidade, esqueceram o convite do Deus que lhes havia dado essa mesma prosperidade e, na hora da necessidade, O rejeitaram. Jesus disse: “Bem-aventurados os pobres de espírito, porque deles é o reino dos céus”. Aqueles que sentem profundamente a pobreza desesperadora de seus próprios corações são os que respondem ao convite para o reino de Deus. E aqueles que estão ocupados com suas próprias vidas, esquecendo-se de Deus em meio à sua abundância, caem na armadilha de pensar: “Não tenho tempo para responder ao banquete do reino de Deus!”
Além disso, o chamado de Deus se expande ainda mais: “Saí pelas estradas e veredas e obrigai-os a entrar, para que a minha casa se encha”. Respondendo a essa convocação divina, os discípulos de Cristo espalharam o Evangelho por todo o mundo, criando filhos de Deus mesmo em lugares distantes como a Península de Chita, no Japão. Aqui reside o próprio mistério do banquete do reino dos céus. Aqueles que pensam: “Eu sou aquele que jantará no reino dos céus” e desfrutam das riquezas da vida, na verdade escolhem a tragédia dessa mesma riqueza ao rejeitarem a si mesmos a Deus. E aqueles que verdadeiramente lamentam: “Alguém como eu nunca poderia viver uma vida digna do reino dos céus”, entram no reino através do convite de Cristo.
Nossos valores também, se não forem controlados, tendem a se desviar para os valores terrenos, em vez dos valores do reino dos céus. Do fraco para o forte. Do pouco para o muito. Do humilde para o exaltado. Esse é o valor que buscamos; aqueles que estão abaixo são considerados de menor valor, aqueles que estão acima, de maior valor. E então, não nos encontramos vivendo muito distantes dos valores do reino de Deus? Reconhecemos nossa própria pobreza, admitimos nossa fraqueza e nos deleitamos em compartilhar o amor de Deus na terra? A comunhão vista no reino de Deus é visível em seus relacionamentos hoje? Traga o espírito do banquete do reino de Deus para onde você está. Traga-o para o seu local de trabalho, para a sua casa. Pois essa é uma função que só você pode cumprir.
3. Respondendo ao chamado de Deus “agora” — Adiar a resposta leva à rejeição
Por fim, a ressonância do versículo 24 sonda nossos corações. “Eu lhes digo que nenhum dos que foram convidados provará do meu banquete.” Qual é a diferença entre aqueles que foram convidados, mas recusaram, e aqueles que vivem na pobreza e foram convidados no último momento? Não é o estado do coração que vive respondendo ao chamado de Deus em cada momento fugaz da vida cotidiana? Comparando os dois, não há discussão sobre qual é mais sincero, mais capaz ou tem um coração mais puro. O que dividiu seus destinos foi simplesmente se eles se alegraram de todo o coração por serem chamados por Deus e escolheram viver com Ele naquele momento.
A procrastinação de dizer: “Quando eu tiver mais tempo, talvez considere Deus”, é precisamente o caminho de rejeitar o convite de Deus. Se você convidasse alguém para um jantar importante e, quando chegasse o dia, essa pessoa dissesse: “Desculpe, estou ocupado agora. Convide-me novamente quando tiver tempo e eu pensarei sobre isso”, você ainda a consideraria uma pessoa valiosa? Nas relações humanas, assim como na vida de fé, é necessário “responder agora” quando o momento se apresenta. Faça do seu breve intervalo um momento para desfrutar de uma oração sincera. Se você tem problemas que pesam em seu coração, ore a Deus sobre eles e busque respostas em Sua Palavra. Mesmo que seja apenas um dia por semana, leia a Bíblia e pense em como colocar seus ensinamentos em prática em sua vida. Além de cada dia vivido com Deus, está a graça de compartilhar a festa do reino de Deus com Jesus.
Conclusão: comunhão com Deus, ser misericordioso com o próximo e responder diariamente à Palavra de Deus
Aprendemos com a parábola da festa no reino de Deus. Vamos resumir em três pontos. Primeiro, mesmo em meio à abundância ou à agitação, reserve tempo para estar com Deus, a fonte de todas as coisas. Segundo, lembre-se da sua própria pobreza e seja indulgente com as fraquezas do seu próximo. Somente quando você mostra misericórdia pelo pecado do outro é que sua própria falta de misericórdia, paciência e egocentrismo são reveladas. Traga os valores do banquete do Reino dos Céus para a sua própria esfera de vida. Terceiro, esteja consciente de responder ao convite de Deus neste exato momento. Pequenos atos de prática são o acúmulo diário vital que constrói a confiança.
Apreciar Deus é o mesmo que apreciar um ente querido. Valorize o tempo que passam juntos. Considere o coração e as palavras deles. Seja fiel a eles, mesmo quando não estiverem presentes. Reconheça o Deus invisível no seu local de trabalho, em casa e na escola, e aumente a alegria de apreciá-Lo.
Sermão do culto dominical, 14 de setembro de 2025
Lucas 14:15–24
“Aqueles que jantam no Reino de Deus”
Introdução: Como responder ao convite de Deus
1. Aqueles que recusam o convite de Deus — Diariamente, valorize e garanta o tempo que passa com Deus
2. Os “pobres” que se juntaram à festa — Como pecadores perdoados, perdoem os pecados dos outros
3. Responda ao convite de Deus “agora” — Adiar a resposta leva à rejeição
Conclusão: Comunhão com Deus, perdão para com o próximo, resposta diária à Palavra de Deus
Conclusão. Comunhão com Deus, perdoe os seus vizinhos e responda diariamente à palavra de Deus.