2025年12月21日待降節主日礼拝説教 ローマ人への手紙 5:5 「失望に終わらない希望のよりどころ」
2025年12月21日待降節主日礼拝説教
ローマ人への手紙 5:5
「失望に終わらない希望のよりどころ」
序:なぜ、私たちの希望は「確かなもの」なのか
ローマ5章の1~5節は、信仰義認と聖化と栄化というクリスチャンが受け取る恵みの全体像が描かれている非常に重要な個所です。しかもその恵みをどのように体験するのかというプロセスと、その恵みを受け取ることをどのように確信したらいいのかという精神面も説明しています。
これまで1~2節では、信仰義認がもたらす三つの恵みを確認してきました。神との平和、キリストにある恵みの立場、そして栄光にあずかる希望の喜びです。この栄光にあずかる希望がへのプロセスを、3~4節が明らかにしています。すなわち、「苦難」を通して忍耐に進み、それが練られた品性を生み、最終的に「希望」へとつながっていきます。これが信仰義認を受けたものの、地上における聖化の歩みであり、その先にある栄化の希望です。
しかし、ここで一つの問いが生まれます。「その希望は、本当に必ず獲得できるものなのだろうか?」という問いです。あなたはこのみ言葉の約束に照らして、自分の過去に経験してきたこと、その中で感じてきたこと、そして今自分自身が感じていることを見つめたとき、このみ言葉は真実でしょうか。期待していたものが手に入らなかったり、信じていた状況が悪化したり。その中であなたh苦難によって忍耐を生み、練られた品性と希望を生む体験をしてきたでしょうか。
これに対してパウロは断言しています。「この希望は失望に終わることがありません」。
なぜそう言い切れるのでしょうか。忍耐強ければそう言えるのでしょうか。信仰が特別強くなれば言えるのでしょうか。もしそうだとしたら私は不安で仕方がありません。しかし感謝なことに聖書が示す理由は、もっとありがたく驚くべきものです。それは私たちの力によらず、また外側の状況によらず、私たちの「内側」に起こっているひとつの霊的な出来事に根拠があるのです。今日は、この「失望に終わらない希望」を支える三つの真理について、皆さんと共に深く味わっていきたいと思います。
1.聖霊という「神の側の力」が希望を支える
・患難から希望への連鎖を進める力
私たちは3節と4節で、苦難、忍耐、練られた品性、希望という「希望の階段」を見ました。しかし、このステップそのものはうまくいくときもあればうまくいかない時もあるでしょう。苦難に直面して、忍耐するどころか悪いのはあの人だ、周りのせいだと他者の責任にして逃げてしまう。少しは忍耐したもののうまく結果が出来ずに、もう忍耐などするものかと拗ねてしまう。品性が練られるどころか歪んでしまって、希望を見失ってしまう。そういうこともあるでしょう。
私たちは自分の力だけでこの階段を登ることはできません。というか、自分の力で昇っている時には、あまりこの希望のステップは進まないのではないでしょうか。挑戦して自分の力で上ったとしても、あまり品性は練られるほどの経験にはなりません。自信が強まっても、かえって神への信頼は薄くなるかもしれません。
苦しみの中で心が折れ、神様を疑いたくなるのが私たちの弱さです。しかし逆説的ですが、そのようなただ中でこのプロセスは進行していくのです。どうして忍耐のさなかに「希望」へと確実にたどり着くと言い切れるのか。5節の冒頭がその答えです。「なぜなら、私たちに与えられた聖霊によって…」ここが重要です。
1節から4節までに描かれているすべての恵み——神との平和、恵みの地位、栄化の希望、そして苦難の中での成長——が確実であるのは、私たちのうちに「聖霊」が住んでおられるからです。聖霊は、神様が私たちに贈ってくださった「最高のプレゼント」であり、神様ご自身です。
・私たちの努力ではなく、神が与えてくれた聖霊の力
私たちが栄光の希望を失わずにいられるのは、私たちの忍耐力が優れているからではありません。私たちの内側で、「聖霊が絶えず働いておられるから」です。聖霊は、私たちが倒れそうな時に支え、神の約束を思い起こさせ、私たちの視線を地上から天へと向けさせてくださいます。いや、私たちが倒れて自分の力に完全に失望し、もう人生なんて終わりだと横たわっているその私たちのうちに聖霊は働くのです。
希望の根拠は、私たちではなく、神の側にあります。神様が「わたしがあなたの内に住み、あなたの救いを最後まで完成させる」と決心されたからです。その神様の熱意こそが、私たちの希望が失望に終わらない理由なのです。私たちが諦めそうになっても、私たちの内に住まわれる聖霊は決して諦めません。これはひとの知恵を超えた神の御業です。私たちが勝手に失望しても、神は私たちを失望させずに希望へと運んでくださるのです。パウロが4節の最後でこの真理を「知っているからです」と書いたのは、経験として、そして信仰によって納得しているという意味合いです。机上の空論ではない。しかし、自分の力によって確信しているのでもない。御言葉の約束から、神はそうされることを信仰によって知っているのです。私たちの救いの希望を実現するのは、私たち自身の能力ではなく、私たちのなかで働く聖霊が、あらゆる経験を通して神に愛されているという知識を教え、失望の中に希望を与えてくださるからです。
2.聖霊は「神が共におられる」という確かな印
・救われたすべての者に与えられている「聖霊」(ローマ8:9)
「でも、自分の中に本当に聖霊がおられるのだろうか」と不安になる方もいるかもしれません。聖書ははっきりと語っています。キリストを信じるすべての者に、聖霊は与えられています。聖霊が与えられていないのならその人は救われていません。キリストにあって信仰による義を受け取っているとはすなわち聖霊がその人のうちに住んでいるということだからです。ローマ8:9ははっきりと教えています。「もし神の御霊があなたがたのうちに住んでおられるなら、あなたがたは肉の中にではなく、御霊の中にいるのです。もしキリストの御霊を持っていない人がいれば、その人はキリストのものではありません。」
救われるというのは、その人が神のものとして生かされるようになるという変化なのです。具体的な成長のプロセスは少しずつ進みますが、霊的な立場は滅びからいのちへ、この世の滅びからキリストの恵みの立場へと、異なる領域へと移し替えられたのです。
そしてこの聖霊が、将来のすべて約束が確かであることを今この瞬間に証明してくれる「神の臨在」なのです。神様は聖霊を私たちの中に送り、「あなたはわたしのものだ」という印としてくださったのです。だれも聖霊によらなければ、心からイエス・キリストが私の罪からの救い主ですと告白することは出来ません。あなたがクリスチャンであるなら、あなたが知っていようといまいと、あなたのうちには聖霊が住んでおられ、この聖化のプロセスを歩ませてくださるのです。
・「神が私と共にいる」
聖霊が与えられているということは、神様はすでに私たちの人生の中に入っておられるのです。ですから、状況がどれほど悪化し、周りが暗闇に包まれたとしても、神様は私たちの「外側」から眺めてはおられません。私たちの苦しみの中に、聖霊を通して「内側」から共に歩んでくださっているのです。
この聖霊の臨在があるからこそ、私たちは失望で人生を終わらせることがありません。聖霊は私たちを励まし、必ずキリストと同じ栄光へと導き入れてくださいます。神の愛は、私たちのうちに働いている聖霊を通して救われたその時からとうとうと注がれているのです。私たちが自分の弱さに目を向けて「もうだめだ」と言うとき、聖霊は「大丈夫、わたしがここにいる。神の愛は変わらない」と、私たちの霊にささやいてくださるのです。失望が希望へと変えられていくタイミングや方法がどのようであるかは、私たちが操作できることではありません。しかし、聖霊は確かに私たちの感じ方や考え方、人生の捉え方、人間関係のすべてに働きかけて、私たちを神の子どもとしての希望へと立ち戻らせてくださるのです。
3.苦難の中で体験する「愛の確信」(ヘブル11:1〜3)
私たちは、苦難に直面すると「神様はもう私を愛していないのではないか」と考える誘惑に駆られます。しかし、聖霊の働きはその苦難の中でこそ「私たちが神の子である」という事実を思い出させ、神の愛を確信させることにあります。信仰者の人生とは、聖霊の働きそのものです。「信仰は望んでいる事がらを保証し、目に見えないものを確信させるものです。」「信仰によって、私たちは、この世界が神のことばで造られたことを悟り、したがって、見えるものが目に見えるものからできたのではないことを悟るのです。」(ヘブル11:1〜3)
苦難は神様が私たちを愛していない証拠ではありません。むしろ愛するがゆえに、神様の子どもたちが成熟する機会としてこれを用いられるのです。私たちにはその深い理由がわからなくても、確かにその中でしか鍛え上げることのできない種類の力があるのです。自分の力が尽き果てたと感じても、かえって聖霊によって「ああ、それでも神様は愛のうちに私を抱き続けていてくださる」と理屈を超えた信仰による平安に導かれるのです。
これは人知をはるかに超えた神様のご計画です。私たちが「愛されている」という実感を一瞬失ったとしても、神様は愛を注ぐことをおやめになりません。来るべき時に、私たちはいつの日か自分の人生のすべてのパズルが組み合わさるのを見るでしょう。そして「あの苦しみも、あの涙も、すべて神様の愛の中での出来事だったのだ」と、心から賛美するのです。たとえどんなに深く隠された神の神秘であっても、神の国においてはすべてが明らかにされるのです。
結び:注がれている愛の中に生きる
もし今、あなたが何らかの試練の中にあり、希望がかすんでいるように感じているなら、どうか思い出してください。あなたの内には、神ご自身である聖霊が住んでおられます。聖霊が、私たちの乾いた心に神の愛を注ぎ続けておられます。
私たちは、この愛を「勝ち取る」必要はありません。ただ、注がれている愛のなかに生かされている自分であることを信仰によって自覚するだけです。聖霊の働きに身をゆだねましょう。パウロは数々の試練を潜り抜けた信仰の先輩として言いました。「この希望は失望に終わることがありません」。この約束を握りしめましょう。私たちは聖霊がともにあるゆえに、絶対に見捨てられることはないのです。神の愛が、すべての神の子どもたちを完成へと導きます。
アドベント最後の週となりました。この一週間、あなたの内に住まわれる聖霊との対話を大切にしましょう。内に住んでおられる聖霊の声に耳を澄ませながら、その日その日の経験を見つめ直してみましょう。
日々の小さな出来事の中に、神の愛が注がれ続けていることを発見していきましょう。神様はあなたと共にあり、あなたを愛しておられます。
祈り
恵み深い天のお父様
失望に終わらない希望を、私たちの内に住まわれる聖霊によって与えてくださっていることを感謝します。
私たちが弱さの中にあるときも、あなたの愛が決して変わらないことを信じます。
どうかこの一週間、聖霊の導きに心を開き、注がれている愛の中に憩うことができますように。
主イエス・キリストのお名前によってお祈りいたします。アーメン。
2025年12月21日待降節主日礼拝説教
ローマ人への手紙 5:5
「失望に終わらない希望のよりどころ」
序:なぜ、私たちの希望は「確かなもの」なのか
1.聖霊という「神の側の力」が希望を支える
・患難から希望への連鎖を進める力
・私たちの努力ではなく、神が与えてくれた聖霊の力
2.聖霊は「神が共におられる」という確かな印
・救われたすべての者に与えられている「聖霊」(ローマ8:9)
・「神が私と共にいる」
3.苦難の中で体験する「愛の確信」(ヘブル11:1〜3)
結び:注がれている愛の中に生きる
Sermão para o Domingo do Advento, 21 de dezembro de 2025
Romanos 5:5
“O fundamento da esperança que não decepciona”
Introdução: Por que nossa esperança é “certa”?
Romanos 5:1–5 é uma passagem extremamente importante que descreve o quadro completo da graça que os cristãos recebem: justificação pela fé, santificação e glorificação. Além disso, explica tanto o processo pelo qual experimentamos essa graça quanto o aspecto espiritual de como podemos ter certeza de recebê-la.
Até agora, os versículos 1-2 confirmaram as três graças trazidas pela justificação pela fé: paz com Deus, nossa posição na graça de Cristo e a alegria da esperança de compartilhar da glória. Os versículos 3-4 esclarecem o processo pelo qual essa esperança de compartilhar da glória é alcançada. Ou seja, por meio da “provação” progredimos para a perseverança, que produz caráter comprovado, levando-nos, em última instância, à “esperança”. Esse é o caminho da santificação na terra para aqueles que são justificados pela fé e a esperança da glorificação além dela.
No entanto, surge aqui uma pergunta: “Essa esperança é realmente algo que podemos ter certeza de obter?” Quando você examina suas próprias experiências passadas, seus sentimentos nelas e seu estado atual à luz desta promessa da palavra de Deus, esta palavra é verdadeira? Quando as coisas que você esperava não se concretizaram, ou as situações em que você acreditava pioraram. Nisso, você experimentou o sofrimento produzindo perseverança, e essa perseverança produzindo caráter comprovado e esperança?
A isso, Paulo declara enfaticamente: “Esta esperança não nos decepciona”.
Por que ele pode dizer isso com tanta certeza? É porque alguém é paciente? Ou porque a fé de alguém se tornou excepcionalmente forte? Se fosse esse o caso, eu ficaria cheio de ansiedade. Felizmente, porém, a razão que a Bíblia dá é muito mais graciosa e surpreendente. Ela não se baseia em nossa força, nem em circunstâncias externas, mas em um evento espiritual que ocorre dentro de nós. Hoje, gostaria de explorar profundamente com vocês as três verdades que sustentam essa “esperança que não decepciona”.
1. O Espírito Santo: “O poder de Deus” que sustenta a esperança
・O poder que impulsiona a cadeia da aflição à esperança
Nos versículos 3 e 4, vimos a “escada da esperança”: sofrimento, perseverança, caráter provado e esperança. No entanto, o progresso por essas etapas nem sempre é tranquilo. Diante do sofrimento, em vez de perseverar, podemos culpar os outros — dizendo que a culpa é deles ou das circunstâncias — e fugir. Podemos perseverar um pouco, mas quando o resultado não é favorável, ficamos de mau humor, pensando: “Cansei dessa perseverança”. Longe de ser refinado, nosso caráter se distorce e perdemos de vista a esperança. Essas coisas acontecem.
Não podemos subir essa escada apenas com nossas próprias forças. Ou melhor, quando estamos subindo com nossas próprias forças, esses degraus da esperança não avançam muito, não é mesmo? Mesmo que nos desafiemos e subamos com nossas próprias forças, raramente isso se torna uma experiência que realmente refina nosso caráter. Embora nossa confiança possa crescer, nossa confiança em Deus pode, por outro lado, diminuir.
É nossa fraqueza que, no sofrimento, nossos corações se partem e somos tentados a duvidar de Deus. No entanto, paradoxalmente, é precisamente no meio de tais provações que esse processo se desenrola. Como podemos ter certeza de que, no meio da perseverança, chegaremos certamente à “esperança”? O início do versículo 5 contém a resposta. “Por causa do Espírito Santo que nos foi dado...” Isso é crucial.
Toda a graça descrita nos versículos 1 a 4 — paz com Deus, nossa posição de graça, a esperança da glória e o crescimento por meio do sofrimento — é garantida porque o Espírito Santo habita em nós. O Espírito Santo é o “maior dom” que Deus nos concedeu; Ele é o próprio Deus.
・Não nossos próprios esforços, mas o poder do Espírito Santo dado por Deus
Não é por causa de nossa excepcional perseverança que podemos nos apegar à esperança da glória. É porque “o Espírito Santo está continuamente trabalhando dentro de nós”. O Espírito Santo nos sustenta quando estamos prestes a cair, nos lembra das promessas de Deus e volta nosso olhar da terra para o céu. Na verdade, o Espírito Santo trabalha dentro de nós mesmo quando caímos, completamente desiludidos com nossa própria força, prostrados, pensando que a vida acabou.
A base da nossa esperança não está em nós, mas em Deus. Pois Deus decidiu: “Eu habitarei em você e completarei a sua salvação”. É precisamente esse zelo divino que garante que nossa esperança não termine em decepção. Mesmo quando somos tentados a desistir, o Espírito Santo que habita em nós nunca desiste. Esta é a obra de Deus, além da sabedoria humana. Mesmo quando nos desesperamos por nossa própria conta, Deus não nos decepciona, mas nos leva à esperança. Quando Paulo escreveu esta verdade no final do versículo 4, “porque sabemos”, isso significa que ele compreendeu isso através da experiência e pela fé. Não é mera teoria. No entanto, ele não sabia isso por sua própria força. Pela fé, ele sabia, pela promessa da palavra de Deus, que Deus faria isso. Não é nossa própria capacidade que cumpre nossa esperança de salvação, mas o Espírito Santo agindo dentro de nós, ensinando-nos por meio de cada experiência o conhecimento de que somos amados por Deus e nos dando esperança em meio ao desespero.
2. O Espírito Santo é o sinal certo de que “Deus está conosco”
・O “Espírito Santo” dado a todos os que são salvos (Romanos 8:9)
Alguns podem se sentir ansiosos, perguntando-se: “Mas o Espírito Santo está realmente dentro de mim?” A Bíblia fala claramente. O Espírito Santo é dado a todos os que crêem em Cristo. Se o Espírito Santo não foi dado, essa pessoa não é salva. Pois receber a justiça pela fé em Cristo significa que o Espírito Santo habita nessa pessoa. Romanos 8:9 ensina claramente: “Se o Espírito de Deus habita em vós, não estais na carne, mas no Espírito. Se alguém não tem o Espírito de Cristo, não pertence a Cristo”.
Ser salvo é uma transformação pela qual a pessoa é capacitada a viver como propriedade de Deus. Embora o processo concreto de crescimento progrida gradualmente, a posição espiritual da pessoa foi transferida da perdição para a vida, da perdição do mundo para a posição da graça de Cristo — para um reino diferente.
E esse Espírito Santo é a própria “presença de Deus” que, neste exato momento, confirma a certeza de todas as promessas futuras. Deus enviou o Espírito Santo para dentro de nós como um selo, dizendo: “Você é meu”. Ninguém pode confessar do coração que Jesus Cristo é seu Salvador do pecado sem o Espírito Santo. Se você é cristão, quer saiba disso ou não, o Espírito Santo habita em você, guiando-o através desse processo de santificação.
・“Deus está comigo”
O fato de o Espírito Santo ter sido dado significa que Deus já entrou em nossas vidas. Portanto, não importa quão difíceis sejam as circunstâncias ou quão escura seja a situação em que nos encontramos, Deus não está apenas observando de “fora”. Por meio do Espírito Santo, Ele caminha conosco “de dentro” do nosso sofrimento.
É precisamente por causa dessa presença do Espírito Santo que não terminamos nossas vidas em desespero. O Espírito Santo nos encoraja e certamente nos levará à mesma glória que Cristo. O amor de Deus tem sido derramado continuamente por meio do Espírito Santo que opera dentro de nós, desde o momento em que fomos salvos. Quando olhamos para nossa própria fraqueza e dizemos: “Não consigo continuar”, o Espírito Santo sussurra ao nosso espírito: “Tudo bem, eu estou aqui. O amor de Deus permanece inalterado. O momento e a maneira como o desespero se transforma em esperança não são algo que podemos controlar. No entanto, o Espírito Santo certamente atua sobre nossos sentimentos, nossos pensamentos, nossa percepção da vida e todos os nossos relacionamentos, restaurando-nos à esperança de sermos filhos de Deus.
3. A certeza do amor experimentado no sofrimento (Hebreus 11:1-3)
Quando enfrentamos dificuldades, somos tentados a pensar: “Talvez Deus não me ame mais”. No entanto, a obra do Espírito Santo é precisamente nos lembrar, em meio ao sofrimento, do fato de que “somos filhos de Deus” e nos assegurar do amor de Deus. A vida de um crente é a própria obra do Espírito Santo. “Ora, a fé é a certeza das coisas que se esperam, a convicção das coisas que não se veem.” “Pela fé entendemos que os mundos foram preparados pela palavra de Deus, de modo que o que se vê não foi feito de coisas visíveis.” (Hebreus 11:1-3)
O sofrimento não é prova de que Deus não nos ama. Pelo contrário, porque Ele nos ama, Ele o usa como uma oportunidade para que Seus filhos amadureçam. Mesmo que não possamos compreender a razão profunda, há de fato um tipo de força que só pode ser forjada dentro dele. Mesmo quando sentimos que nossa própria força está totalmente esgotada, somos levados pelo Espírito Santo a uma paz que ultrapassa a compreensão através da fé, percebendo: “Ah, mas Deus continua a me abraçar com amor”.
Este é o plano de Deus, muito além da compreensão humana. Mesmo que momentaneamente percamos a sensação tangível de sermos amados, Deus não deixa de derramar Seu amor. No tempo que virá, veremos todas as peças do quebra-cabeça de nossa vida se encaixarem. Então, do fundo de nossos corações, O louvamos, percebendo: “Aquele sofrimento, aquelas lágrimas — tudo foram eventos dentro do amor de Deus”. Pois no reino de Deus, todas as coisas, por mais profundamente ocultas que estejam, serão reveladas.
Conclusão: Vivendo no amor que é derramado
Se você está passando por alguma provação e a esperança parece distante, lembre-se disso: o próprio Deus, o Espírito Santo, habita em você. O Espírito Santo continua a derramar o amor de Deus em nossos corações ressecados.
Não precisamos “merecer” esse amor. Precisamos simplesmente nos conscientizar, pela fé, de que estamos sendo mantidos vivos no amor que é derramado. Renda-se à obra do Espírito Santo. Como um companheiro de viagem que passou por muitas provações, Paulo declarou: “Esta esperança não nos decepciona”. Agarre-se a essa promessa. Porque o Espírito Santo está conosco, nunca seremos abandonados. O amor de Deus guia todos os Seus filhos à perfeição.
Entramos agora na última semana do Advento. Nesta semana, valorizemos nosso diálogo com o Espírito Santo que habita em nós. Ao ouvirmos atentamente a voz do Espírito Santo que reside em nós, reflitamos novamente sobre as experiências de cada dia.
Descubramos como o amor de Deus continua a ser derramado nos pequenos acontecimentos da vida cotidiana. Deus está com você e te ama.
Oração
Pai Celestial misericordioso,
Damos graças porque, através do Espírito Santo que habita em nós, Tu nos concedes uma esperança que não decepciona.
Acreditamos que, mesmo em nossa fraqueza, o Teu amor permanece imutável.
Que possamos abrir nossos corações à orientação do Espírito Santo nesta semana e encontrar descanso no amor derramado sobre nós.
Em nome de nosso Senhor Jesus Cristo oramos. Amém.
Sermão do Domingo do Advento, 21 de dezembro de 2025
Romanos 5:5
“O fundamento da esperança que não decepciona”
Introdução: Por que nossa esperança é “certa”?
1. O Espírito Santo, “o poder de Deus”, sustenta nossa esperança
・O poder que leva da cadeia do sofrimento à esperança
・Não é nosso próprio esforço, mas o poder do Espírito Santo dado por Deus
2. O Espírito Santo é o sinal certo de que “Deus está conosco”
・O “Espírito Santo” dado a todos os que são salvos (Romanos 8:9)
・“Deus está comigo”
3. A “certeza do amor” experimentada no sofrimento (Hebreus 11:1-3)
Conclusão: Viver dentro do amor derramado sobre nós