2026年5月3日主日礼拝説教 ルカの福音書18:28~34 説教題:神のために手放したものは、その何倍も受け取る
2026年5月3日主日礼拝説教
ルカの福音書18:28~34
説教題:神のために手放したものは、その何倍も受け取る
序.あなたの心は何を基準にしているか
クリスチャンであるなら、「神の国とその義をまず第一に求めなさい」というイエス様の言葉を知っているでしょう。神様を第一にする。それはあなたの生活の中でどのように現れているでしょうか。
今日の箇所の直前の場面では、裕福な役人がイエスに出会ったにもかかわらず、最終的には従うことができませんでした。彼は神の国ではなく、自分の持っている財産を中心に据えて生きていたからでした。彼を見たイエス様は言われます。「裕福なものが神の国に入ることは、何とむずかしいことでしょう。」
このやり取りを見ていたペテロは言います。「ご覧ください。私たちは自分のものを捨てて、あなたに従ってきました。」イエスの弟子として生きるためにすべてを捨ててきたペテロの言葉。イエス様から、安心できる言葉を聞きたかったのかもしれません。
その問いに対してイエス様は、「この世では失ったものの何倍も受け、来るべき世で永遠のいのちを受けます」と嬉しい約束を宣言してくださるのでした。しかしそのすぐあとに十字架の予告が続くのです。
ここに、この箇所の核心があります。キリストに従うひとの豊かな報いは、キリストの十字架と復活に結ばれるとことを根拠としているということです。神を第一にしたら神の国には入れるのではありません。全財産を捨て、家族を捨てたらご褒美として祝福がもらえるのではありません。神があなたを罪から救い出し、あなたがキリストの十字架と復活の恵みに結び合わされるなら、あなたは神を第一にするようになり、神のためにそのほかのものを手放せるようになり、その生き方の先に永遠の神の国に入ることになるのです。このような変化は、救われていない人が努力によって獲得するものではありません。人にはできませんが、神にはできるのです。神が人を救い出されるなら、その人はこのような生き方の変化を遂げていくとキリストは示しているのです。
私たち日曜日には礼拝で神の言葉を聞きますが、月曜日から土曜日にはこの世の強力な価値観の誘惑にさらされています。だからこそ今日の御言葉は、あなたは実際のところ「何を基準に生きているか」と問いかけています。あなたの心に神との関係が生きて働いているか。信仰があるか。それが物事の判断基準や優先順位や、喜びや悲しみのなかに現れているかと、問うているのです。
1.中心にある基準の転換――「神の国のために捨てる」とは何か
イエスは言われます。29節「だれでも、神の国のために、家、妻、兄弟、両親、子どもを捨てた者は、必ずこの世で、その何倍も受け、来るべき世で、永遠のいのちを受けます。」
これは、すべてを文字通り手放せという命令ではありません。22節の財産すべてを貧しい人たちに分けてやりなさいという言葉と同様に、ここで問われているのは、何を最終的な拠り所としているかです。人生を支えてくれるものは、結局はお金だと思っている人。人生の素晴らしさとは結局は家族だと思っている人。どちらも、別にそれが悪いというのではありません。しかし、それらすべてのよいものを与えてくださった神様がいるのに、神様よりも恵みそのものを優先してしまうことの問題を指摘しているのです。
人は必ず何かを基準にして判断しています。あなたを突き動かしている強い動機は何でしょうか。不安でしょうか。金銭的な損得でしょうか。他者からの評価でしょうか。それとも人間関係でしょうか。
イエス様が提示したのは、「神の国に入るひとの基準は、神とともに生きることだ」ということです。このような生き方は神の愛を知らない人が努力によって達成するものではなく、信仰によって神に結ばれたひとの心の中で起こる変化です。神と結ばれた結果として、それまで人生の基準の中心だったものが相対化され、「それがすべてではない」とされていくのです。
ですから、ここでいう「捨てる」とは、単なる犠牲の行動ということではなく、判断基準が変えられた結果としての行為なのです。
日常の生活の中で、人の評価を気にするのか、それとも神に対して誠実であろうとするのか。
損しないで得することを優先するのか、それとも神の前で正しい選択をするのか。
こうした場面で、どの基準に従うか。そもそも、そこで立ち止まって自分の選択の基準が神に喜ばれるかどうかを吟味出来ること。ここに実際的な意味での、なにかを「捨てて」神の国を選ぶという実践が現れます。
2.何倍もの祝福――この世において始まり、後の世に完成する
イエス様は神を愛するためにこの世の何かを捨てるなら、まず「この世で、その何倍も受ける」と言われました。しかしこれは単純な見返りではありません。私たちが真実に神に結ばれることで、神を愛するために手放したものは、別のかたちで祝福として帰ってくるということです。
そもそも、この祝福はまず、神ご自身に結ばれることにあります。その中で、これまでとは異なる質の変化が与えられます。たとえば、自分の存在意義や喜びが他者の評価に縛られなくなるという自由、人生における物事の判断に一貫性が生まれて安定すること、あらゆる困難の中でも目に見えない希望が失われないこと。
こうした祝福は外からは見えにくいですが、確かにこの世において経験される祝福です。心の平安が、他者や財産や物の所有、所属、経験に依存してしまっているひとの不安と孤独は、どれほどこの世を暗く覆っていることでしょう。コマーシャルやSNSの華々しい様子の裏に隠れているのは、これを持っていないあなたは不幸ですねという価値観の誘惑なのです。神の国を第一と出来ることの恵みは、本当に自分の価値が神様に愛されているという事実に基礎づけられていく体験の中にあるのです。
このような恵みは、一瞬ですべてを変えるような変化ではなく、むしろ救われたその時から少しずつ始まり、実際に私たちが生活の中で神を第一とする選択を喜んで積み重ねていく先に私たちの中で花開いていきます。私たちが神様の愛に応えていくとき、私たち自身の中に神様への信頼と絆が構築されていくからです。
しかもこの神様との信頼関係の深まりという祝福は、この世のことに留まりません。イエス様は「来るべき世で、永遠のいのちを受けます」と永遠の祝福の展望を示されました。地上で神のために何かを捨てたことが一時的な損失のように見えたとしても、永遠のいのちにおいて、失われたものは完全に回復されてすべては逆転します。神の国で神様とともに生きる完全な祝福の中に入ったときには、むしろどうして私はこれほど少しのものを惜しみ、かえってそのことで神様からの祝福を遠ざけて生きていたのだろうと気が付くのではないでしょうか。
私たちはキリストに結び合わされて今すでに始まっている祝福を受けており、そしてやがて完成する祝福を待ち望みながら生きているのです。
3.祝福根拠はキリストの十字架と復活――なぜこの約束に信頼できるのか
イエス様はこの何倍もの豊かな報いがあるという約束を告げた直後に、ご自身の十字架での受難を語られます。32節、33節の言葉です。それは、この言葉が単なる励ましではなく、現実に根ざしていることを示すためです。
イエスは神と人を愛するために、あなたを罪から救い出すために、神に従うために、すべてを失う道を進まれました。拒絶され、苦しみ、命をささげるみちを、ご自身で選び取られたのです。では、いのちを捨てて、死んで、失って終わったのでしょうか。全く逆でした。死は終わりではなく、復活によって完全な勝利に至ったのです。それも二度と死ぬことのない、御霊の性質をもったからだのよみがえりでした。
神のために失なったけれども、豊かに回復する
神のために低くされたけれども、高く引き上げられる
神様はその不思議なご計画とみわざによって、イエス様にも、そしてイエス様の後に続くクリスチャンにも、実現されるのです。だからこそ、キリストの弟子であるクリスチャンの歩みも同じ方向を持つのです。神を選び取る中で経験する「失うこと、捨てること」は、最終的な損失ではないのです。
しかし弟子たちはこれを理解できませんでした。34節「弟子たちは、これらのことが何一つわからなかった。彼らにはこのことばが隠されていて、話されたことが理解できなかった。」
イエス様が十字架を通るまでは、その先にある復活の祝福の大きさが見えませんでした。むしろイエス様が殺されるはずがないと思っていました。どうしてそんな悲しいことが起きるのかと。
私たちも同じように、神様に従う道の先にある、神のために「捨てる」ということが、すぐには理解できません。またすべてを理解することもできません。しかしそれでも、信仰によって神様を選び取るための根拠はすでに与えられています。あなたがキリストの十字架と復活の恵みに結び合わされているなら、あなたはすべての意味が分からなくても、神を第一とすることを選び、そのために他のものを手放すことに進むことが出来るのです。神の御心の中で、損失はむしろ余りある豊かな祝福によって満たされるからです。
結び.今日、明日の日々の選択の中で、どの基準にたって何を選び取るか
この箇所は、「神のために大きな犠牲が払えるか」と漠然とした問いかけをしているのではありません。そうではなく、根本的にあなたは日々の選択において何を基準にしているかを問うているのです。
イエスは、「すべてを捨てよ」さもなければ神の国には入れないと脅しているのではありません。むしろ「わたしに従うなら、あなたが私のために失ったものは決して失われたままでは終わらない。豊かに祝福されて帰ってくる」と約束しておられるのです。
そのことの保証は、私たちの決意や努力の大きさではなく、キリストの十字架と復活の恵みの豊かさにあります。あなたがキリストの結ばれて生きているなら、あなたは生活の中で神を第一に選び取ることに伴うあらゆる祝福を体験すると言ってくださるのです。
私たちは、その瞬間には神様のためにそれを失ったことの意味が分からないかもしれません。しかしそれでも、すべてを理解してからではなく、見えない部分を抱えたままでも、神を中心とした基準に立って一つの選択をすることができるのです。イエス様がすでに復活の約束を信じて十字架のいのちを捨てる経験へと進んでくださったことを知っているからです。
神様を第一に選び取る。私たちはこの神とともに生きる歩みの中で、すでにこの世でたくさんの祝福を受け、やがて完全に与えられる祝福をも約束されているのです。明日、あなたが迫られる選択の中で、神様を第一とする道はどちらでしょうか。
祈り
神様。私たちはあなたの愛を知りながら、なおも他のものを基準にして歩もうとしてしまいます。どうか私たちの心と生活の中心をあなたに向け直してください。目に見えるすべてのものが私たちに選択を迫る時、目に見えないあなたを第一にする心を注いでください。日々の小さな選択の中で、あなたに対して誠実である道を選ばせてください。
すべてのことにおいて、イエス様の十字架と復活に結ばれた約束に信頼し、従う歩みを与えてください。
イエス様の御名によって祈ります。アーメン
2026年5月3日主日礼拝説教
ルカの福音書18:28~34
説教題:神のために手放したものは、その何倍も受け取る
序.あなたの心は何を基準にしているか
1.中心にある基準の転換――「神の国のために捨てる」とは何か
2.何倍もの祝福――この世において始まり、後の世に完成する
3.祝福根拠はキリストの十字架と復活――なぜこの約束に信頼できるのか
結び.今日、明日の日々の選択の中で、どの基準にたって何を選び取るか
Sermão do Culto Dominical de 3 de maio de 2026
Evangelho de Lucas 18:28-34
Título do sermão: Aquilo que você abre mão por Deus, receberá em dobro
Introdução. Qual é o seu critério?
Se você é cristão, certamente conhece as palavras de Jesus: “Buscai, pois, em primeiro lugar, o Reino de Deus e a sua justiça”. Colocar Deus em primeiro lugar. Como isso se manifesta na sua vida?
Na cena imediatamente anterior à passagem de hoje, um oficial rico encontrou Jesus, mas, no fim das contas, não conseguiu segui-Lo. Isso porque ele vivia centrado em seus bens, e não no Reino de Deus. Ao vê-lo, Jesus disse: “Quão difícil é para um rico entrar no Reino de Deus!”
Pedro, que observava essa conversa, disse: “Veja, nós deixamos tudo e seguimos o senhor.” Palavras de Pedro, que havia abandonado tudo para viver como discípulo de Jesus. Talvez ele quisesse ouvir palavras tranquilizadoras de Jesus.
Em resposta a essa pergunta, Jesus declarou uma promessa alegre: “Neste mundo, vocês receberão muitas vezes mais do que perderam, e na vida futura receberão a vida eterna.” No entanto, logo em seguida vem a previsão da cruz.
Aqui está o cerne desta passagem. A rica recompensa para quem segue a Cristo tem como fundamento o fato de estar ligada à cruz e à ressurreição de Cristo. Não é por colocar Deus em primeiro lugar que se entra no Reino de Deus. Não é por abandonar todos os bens e a família que se recebe a bênção como recompensa. Se Deus o salvar do pecado e você for unido à graça da cruz e da ressurreição de Cristo, você passará a colocar Deus em primeiro lugar, será capaz de abrir mão de todas as outras coisas por causa de Deus e, ao seguir esse modo de vida, entrará no Reino eterno de Deus. Tal transformação não é algo que uma pessoa não salva possa alcançar por meio de seus próprios esforços. O homem não pode fazer isso, mas Deus pode. Cristo está mostrando que, se Deus salvar uma pessoa, ela passará por essa transformação em seu modo de vida.
Aos domingos, ouvimos a Palavra de Deus no culto, mas de segunda a sábado estamos expostos às tentações dos poderosos valores deste mundo. É por isso que a Palavra de hoje nos questiona: “Na verdade, com base em que você está vivendo?”. A relação com Deus está viva e atuando em seu coração? Você tem fé? A Palavra está perguntando se isso se manifesta em seus critérios de julgamento, em suas prioridades, em sua alegria e em sua tristeza.
1. A transformação do critério central — O que significa “renunciar pelo Reino de Deus”?
Jesus diz no versículo 29: “Todo aquele que, pelo Reino de Deus, tiver renunciado à sua casa, à sua mulher, aos seus irmãos, aos seus pais e aos seus filhos, receberá, ainda nesta vida, muitas vezes mais do que isso, e, na vida futura, a vida eterna.”
Isso não é uma ordem para que você literalmente abra mão de tudo. Da mesma forma que a frase do versículo 22, que diz para distribuir todos os bens aos pobres, o que está sendo questionado aqui é o que você considera seu último refúgio. Há quem pense que, no fim das contas, o que sustenta a vida é o dinheiro. Há quem pense que a beleza da vida reside, em última instância, na família. Não há nada de errado com nenhuma dessas visões. No entanto, Jesus aponta o problema de priorizar a graça em si, em vez de Deus, que é quem nos concedeu todas essas coisas boas.
As pessoas sempre julgam com base em algum critério. Qual é a forte motivação que move você? É a ansiedade? É o ganho ou a perda financeira? É a avaliação dos outros? Ou são os relacionamentos interpessoais?
O que Jesus apresentou foi que “o critério para entrar no Reino de Deus é viver com Deus”. Esse modo de vida não é algo que uma pessoa que não conhece o amor de Deus alcança por meio do esforço, mas sim uma transformação que ocorre no coração daquele que está unido a Deus pela fé. Como resultado da união com Deus, aquilo que até então era o centro dos critérios de vida passa a ser relativizado, e percebe-se que “isso não é tudo”.
Portanto, o que se entende aqui por “abandonar” não é simplesmente um ato de sacrifício, mas uma ação resultante da mudança dos critérios de julgamento.
Na vida cotidiana, você se preocupa com a avaliação dos outros ou procura ser sincero para com Deus?
Prioriza não perder e ganhar, ou faz a escolha correta diante de Deus?
Nessas situações, a que critério seguir? Em primeiro lugar, o fato de podermos parar para refletir se o critério de nossa escolha agrada a Deus. É aqui que se manifesta, em sentido prático, a prática de “abrir mão” de algo para escolher o Reino de Deus.
2. Bênçãos multiplicadas — que começam neste mundo e se completam no mundo vindouro
Jesus disse que, se abrirmos mão de algo neste mundo para amar a Deus, primeiro “receberemos muitas vezes mais neste mundo”. No entanto, não se trata de uma simples retribuição. Significa que, ao nos unirmos verdadeiramente a Deus, aquilo que abrimos mão para amá-Lo retornará sob outra forma como bênção.
Em primeiro lugar, essa bênção reside, acima de tudo, na união com o próprio Deus. Nesse contexto, recebemos uma transformação qualitativa diferente de tudo o que conhecíamos até então. Por exemplo, a liberdade de não ter mais o sentido da própria existência ou a alegria dependentes da avaliação dos outros; a estabilidade que surge da consistência no julgamento das coisas da vida; e o fato de que, mesmo em meio a todas as dificuldades, a esperança invisível não se perde.
Essas bênçãos são difíceis de perceber externamente, mas são, sem dúvida, bênçãos vividas neste mundo. Quão sombria é a atmosfera deste mundo, quando a ansiedade e a solidão daqueles cuja paz interior depende de outras pessoas, de bens materiais, de pertenças, de afiliações ou de experiências? Por trás da aparência deslumbrante dos comerciais e das redes sociais, esconde-se a tentação de um valor que diz: “Você, que não possui isso, é infeliz”. A graça de poder colocar o Reino de Deus em primeiro lugar reside na experiência de ver o próprio valor fundamentado no fato de ser amado por Deus.
Essa graça não é uma mudança que transforma tudo em um instante, mas sim algo que começa aos poucos a partir do momento em que somos salvos e floresce dentro de nós à medida que, com alegria, acumulamos escolhas que colocam Deus em primeiro lugar em nossa vida cotidiana. Isso porque, à medida que respondemos ao amor de Deus, a confiança e o vínculo com Ele vão se construindo dentro de nós.
Além disso, essa bênção do aprofundamento da relação de confiança com Deus não se limita às coisas deste mundo. Jesus nos mostrou a perspectiva da bênção eterna, dizendo: “receberão a vida eterna no mundo vindouro”. Mesmo que abrir mão de algo por Deus na terra pareça uma perda temporária, na vida eterna, o que foi perdido será totalmente restaurado e tudo se reverterá. Quando entrarmos na bênção plena de viver com Deus no Reino de Deus, não será que perceberemos: “Por que, afinal, eu me apeguei a coisas tão insignificantes e, por causa disso, vivi afastando-me da bênção de Deus?”
Estamos unidos a Cristo e já recebemos a bênção que já começou, e vivemos ansiando pela bênção que se completará no futuro.
3. A base da bênção é a cruz e a ressurreição de Cristo — por que podemos confiar nessa promessa?
Logo após anunciar a promessa de uma recompensa muitas vezes mais rica, Jesus fala sobre o seu próprio sofrimento na cruz. São as palavras dos versículos 32 e 33. Isso é para mostrar que essas palavras não são meras palavras de encorajamento, mas estão enraizadas na realidade.
Para amar a Deus e ao homem, para salvar você do pecado e para obedecer a Deus, Jesus trilhou o caminho de perder tudo. Ele escolheu por si mesmo o caminho da rejeição, do sofrimento e da entrega da própria vida. Então, será que tudo terminou com a entrega da vida, a morte e a perda? Muito pelo contrário. A morte não foi o fim; pela ressurreição, alcançou-se a vitória completa. E essa ressurreição foi a de um corpo dotado da natureza do Espírito Santo, que nunca mais morrerá.
Embora tenha perdido por causa de Deus, será ricamente restaurado
Embora tenha sido humilhado por causa de Deus, será exaltado
Deus realiza isso, tanto para Jesus quanto para os cristãos que O seguem, por meio de Seus planos e obras maravilhosos. É por isso que a caminhada dos cristãos, como discípulos de Cristo, segue a mesma direção. O “perder e abandonar” que experimentamos ao escolher a Deus não é uma perda definitiva.
No entanto, os discípulos não conseguiam compreender isso. Versículo 34: “Os discípulos não compreenderam nada disso. Essas palavras estavam ocultas para eles, e não conseguiam entender o que lhes era dito.”
Até que Jesus passasse pela cruz, eles não conseguiam ver a grandeza da bênção da ressurreição que estava por vir. Pelo contrário, achavam que Jesus não poderia ser morto. Por que algo tão triste aconteceria?
Da mesma forma, nós também não conseguimos compreender imediatamente o que significa “renunciar” por Deus, algo que está à frente do caminho de obediência a Deus. Também não podemos compreender tudo. No entanto, mesmo assim, já nos foi dada a base para escolher a Deus pela fé. Se você está unido à graça da cruz e da ressurreição de Cristo, mesmo sem compreender todo o significado, você pode escolher colocar Deus em primeiro lugar e, por isso, avançar para abrir mão de outras coisas. Pois, na vontade de Deus, a perda será preenchida por uma bênção abundante.
Conclusão. Nas escolhas de hoje e de amanhã, com base em que critério você vai escolher?
Esta passagem não está fazendo uma pergunta vaga do tipo “você é capaz de fazer um grande sacrifício por Deus?”. Não é isso. Em vez disso, ela está perguntando, fundamentalmente, qual é o seu critério nas escolhas diárias.
Jesus não está ameaçando, dizendo: “Abandone tudo”, ou então não entrará no Reino de Deus. Pelo contrário, Ele está prometendo: “Se você me seguir, o que você perdeu por minha causa não ficará perdido para sempre. Você voltará ricamente abençoado”.
A garantia disso não está na magnitude de nossa determinação ou esforço, mas na riqueza da graça da cruz e da ressurreição de Cristo. Ele nos diz que, se você vive unido a Cristo, você experimentará todas as bênçãos que acompanham a escolha de colocar Deus em primeiro lugar em sua vida.
Talvez, naquele momento, não compreendamos o significado de ter perdido aquilo por causa de Deus. Mas, mesmo assim, podemos fazer uma escolha com base em critérios centrados em Deus, não apenas depois de compreender tudo, mas mesmo carregando com nós o que ainda não vemos. Isso porque sabemos que Jesus já avançou para a experiência de entregar a vida na cruz, crendo na promessa da ressurreição.
Escolher Deus em primeiro lugar. Nesta caminhada de vida com Deus, já recebemos muitas bênçãos neste mundo e temos a promessa de que, no futuro, receberemos as bênçãos na sua plenitude. Amanhã, entre as escolhas que você terá de fazer, qual será o caminho que coloca Deus em primeiro lugar?
Oração
Deus. Mesmo conhecendo o seu amor, ainda tentamos seguir com outros critérios como referência. Por favor, reoriente o centro de nossos corações e de nossas vidas para você. Quando tudo o que é visível nos obrigar a fazer escolhas, conceda-nos um coração que coloque você, que é invisível, em primeiro lugar. Nas pequenas escolhas do dia a dia, permita-nos escolher o caminho da sinceridade para com você.
Em todas as coisas, conceda-nos um caminho de confiança e obediência à promessa ligada à cruz e à ressurreição de Jesus.
Oramos em nome de Jesus. Amém
Sermão do Culto Dominical de 3 de maio de 2026
Evangelho de Lucas 18:28-34
Título do Sermão: Aquilo que se abre mão por Deus, receberá em muitas vezes mais
Introdução. Qual é o critério do seu coração?
1. A mudança do critério central — O que significa “abrir mão pelo Reino de Deus”?
2. Bênçãos em dobro — Começam neste mundo e se completam no mundo vindouro
3. A base da bênção é a cruz e a ressurreição de Cristo — Por que podemos confiar nessa promessa?
Conclusão. Nas escolhas de hoje e de amanhã, com base em qual critério você vai escolher?